丈 平次郎は、今なぜ自分がここにいるのかさっぱり分からなかった。
おかしい。確か自分は別の酒場で、ジルベリア人の友人を待っていた、はず、なんだが…

「ぎゃっはっはっはっはー!!酒がねぇぞお、酒があっ!!ここの酒ぜぇんぶ持ってこぉぉいっ!」
「えへへ、もってこいなのですよーっ♪ひろいはぁ、おさけつおいのですからぁ、まだまだいけるのですよぉ〜♪」

…助けてくれ

 


一刻か二刻か…それぐらい前だ。
すでに出来上がった猪と拾が、平次郎がいた酒場に現れたのは。
最初の犠牲になったのは、由樹というシノビだった。
たまたまそこに居合わせたのだが、不幸にも猪と拾はどちらも彼と顔見知りだった。

「おうおうおう!若いにーちゃんが一人酒たぁ寂しいねえ。俺も一緒に飲んでやるぜぇ!!」
「ひろいもいっしょにのんでやるのですぅっ!」

相手に拒否権のないその思いやりから、由樹は逃げることができなかった。
すぐに逃げようとしたのだが、猪に首をがっちりホールドされ「飲み直しだああああ!」と出口へと連れていかれる哀れな被害者。
そんな由樹に心中で両手を合わせ、平次郎はそっと席を立つ。
可哀相だが、今あの災厄コンビと出会うわけにはいかない。
手洗場にでも身を潜めて、この酒場から出るのを待つことにしよう。

そう思った矢先に、連れていかれる由樹と目が合った。
災厄たちは、気がついていないようだったが。

(お前…!)
(…頼む。見逃せ)

一瞬のアイ・コンタクト。
しかし、由樹という男は平次郎が思うよりも諦めの悪い男だった。

「お前だけっ…逃がすかボケっ…!」
「ま、まて…そこは、掴むなっ…!」

兜の布を掴まれ、脱げそうになる兜を必死に押さえる平次郎。
そんなことをしている内に災厄たちに気が付かれ、由樹ともども今の酒場へと連れていかれた。

…友人には今度会ったら謝るしかない…どんな皮肉を言われるか…

「なんだよう!おっさん飲んでねえじゃねえかあよう!俺の酒が飲めねえってのかあ、ああん!?」
「えんりょなんかしちゃダメなのですよぅ!きょおはぶれいこーなのですぅっ!!」

友人に対する言い訳を考える時間は、猪と拾の挟撃で中断される。
拾はともかく猪の酒癖の悪さは重々承知していた。が、ここまで絡まれたの初めてだ。
…久しぶりだ。人をここまで殴りたくなったのは。今の猪になら手加減できないかもしれない。

密かに拳を握り締める平次郎の一方で、第一被害者の由樹というと、机に突っ伏して死んだように動かない。
先ほど「ノリが悪い」と言いがかりをつけられ、猪に無理矢理一升瓶をラッパ飲みさせられたせいだ。
シノビには酒の酔いを飛ばす術があると聞いたが…どうやら彼はそれを持っていなかったらしい
声をかけたところ、一言「吐く」とだけ返ってきたので、そっと由樹から距離を置いた。

 

「あの、お客さん…」
「ああ…言わなくても、分かっている」

猪の標的にされる事を恐れ、周りに誰も近寄らない中で勇敢な店員が平次郎に声をかける。
会話が通じるのは丈だけだと判断されたのだろう。店員が全てを言う前に平次郎はそれを制した
…この二人が騒いでいい酒場はもう神楽の都にはない。
千鳥足の拾を小脇に抱え、青い顔をした由樹を負ぶり、酒瓶を振り回す猪の首根っこを掴み、
店員に一通り頭を下げて代金(謝罪の意も含めて多めに)を支払ってから、平次郎はその酒場を後にした。
俺も大概、お人好しだと自分自身に呆れつつ。

 

「もう一軒!!もう一軒!!」
「もーいっけん!もーいっけん!!」

酔っ払いたちの言葉を聞き流しながら平次郎は街を歩く。
季節は春だが、夜はやはり肌寒い。
酔っ払いどもには丁度いい寒さか、と思いながら
自分が泊まっている宿へと足を進める。
宿の者達には迷惑だろうが、生憎平次郎は酔っ払い達の住居の場所を知らなかった。
どこぞの道端に投げ捨てていければ楽なのだが…と溜息をつく。

…ふと、視線を感じた。
顔を上げると、道の先に見知らぬ男。
年は20か、30か。二枚目と呼ばれる類の整った顔立ち
暗くて分からないが、おそらくは天儀人。…身なりからして同じ開拓者か、あるいは…
こちらを伺うように、立ち止まっているその男を平次郎は見つめる。

敵か、味方か。
人通りの少ない真夜中の路地は人を襲うには打ってつけだ。
誰が狙いかは知らない。だがこの状況では己は逃げることしかできない。
…不用意に近づくことはできない。その男が只者ではないことは直感的に分かっていた。

平次郎と暗闇にいる男は、その場を動かず、お互いの動向を伺っていた。
その時だ。平次郎の背中から場にそぐわない呻き声が聞こえたのは

「…り…」
「…あ?」

虫の声ほどの呟きと、漏れる嗚咽。

「も…アカン……吐く…」

(おい待て。嘘だろ)
鎧で隠され、感情が見えづらい平次郎の顔が見るからに青ざめた。


+++++

 

(…まさかこんな事になるとは)
己の背に全体重を預け、眠っている由樹の体温を感じながら清顕は空を見上げた。
真夜中の森の闇は深く、より一層に不気味だが
シノビにとって闇はそれほど恐ろしいものではない。
さくさくと草を踏み分け、獣道を清顕は歩いていく。

『こいつの家を知ってるか。
知っているのなら、送り届けてほしいんだが』

初めて出会った鎧姿の男…平次郎から、泥酔した由樹を渡されたのがつい先刻ほど前。
平次郎が少しうんざりしたような顔をして、鎧を拭きながら己に頼んできた。
その場に居合わせたのは本当に偶然の事だったが、まさかこんな事になるとは。

あんなに自分を避けている…ここ最近は特に…由樹が己の背で眠っているのも、何だか可笑しい感じだ。
清顕はくすりと一人微笑む。

「起きたら、また俺から逃げようとするのかな。由樹さん」

答えが返ってこないのを知っていて、清顕は問いかける

由樹に想いを伝えてから、清顕は一度も由樹と会っていない。
今まで避けられていたのがより一層…徹底的に避けられるようになった。
清顕が意識的に会いにいこうとしても、見つけられないくらい。
よくもまあやるものだと、笑ってしまうくらいに由樹は必死に清顕から逃げていた。

そんなに嫌われているのか、とは清顕は思わない。
由樹の行動や反応を見れば、そんな事は思えない。
むしろ、己の気持ちに精一杯抗っているようにも見える。
もしくは気付いていなくて、今の状況に混乱している、とか?
…彼ならありそうだ。
無理矢理にキスでもしないと、分かってくれないぐらいだから。

「由樹さんとの鬼ごっこは楽しくて好きだよ。でもそろそろ、捕まってくれないかな。…君のほうから。」

なんて、ね。

そんな事を彼に言うのは酷だから、こっちから捕まえてあげようと、清顕は思う。
ゆっくり優しく追いつめてあげれば、嫌でも気付くことになるだろうから。

「…き…きもちわる…」
「あ、ちょっと待ってね由樹さん。もう少しだから」

そんな事を思いながら、背中で不穏な言葉を口にした由樹を背負い、
夜の森を清顕は小走りで…なるべく揺らさないように、駆けていった。

next…

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