央 由樹は自分の事を、人間の好き嫌いは少ないほうだと思っている。
苦手なタイプはそりゃいるが、どう付き合っていいか分からないだけで
会いたいくない・目も合わせたくないという人間には出会ったことがなかった。
 
しかし、今の由樹にはできることなら会いたくないし、係わり合いになりたくない人物が、一人いた
 
昼下がり。小さな甘味屋の軒先。彼は、見つけられてしまった。
 
「やあ、こんにちわ」
「あ、ちよださんっ!」
 
ぱぁっと顔を明るくした拾の隣で、背を向けたまま体を硬直させた由樹。
振り返らなくても、拾が名を呼ばなくても、声で分かる。…分かるようになってしまった。
 
千代田清顕。
「とある依頼」で知り合いになってからというもの、この男は何かと自分にちょっかいをかけてくる。
同姓の自分を女性と接するように、甘い言葉を囁いたり、過剰に接近したり…
それが仕事の時だけなら、まだいい。…そういう事をしなければいけない、特殊な依頼なのだ。
しかし清顕は仕事以外でも、由樹に会えば口説き落とすような言葉をかけてくる。
由樹は分かっていた。俺はからかわれているんだ、と。
…この男は、自分の言葉に良い反応を示す俺を見たいだけなんだと。
 
「こんにちわ、なのですっ」
「こんにちわ。おいしそうなお団子だね」
「はいっ!とってもおいしいですよっ!」
 
団子を頬張りながら、清顕の言葉に嬉しそうに答える拾の隣で由樹は嫌な汗を流していた。
口に入れたみたらし団子の味がよく分からなくなってきた。とりあえず、噛み砕いて無理矢理飲み込む。
 
「ちよださんもおだんごいっしょにどうですかっ?」
「ふふ、じゃあお言葉に甘えようかな。隣、座っていいかな。…由樹さん」
 
拾の時とは少し違う声色で名前を呼ばれて、由樹は見るからに異常な反応を見せた。
びくっと肩が震えて、その後は微動だにしない。
そんな由樹の様子に拾は首を傾げる。
仏頂面ではあるけれど、さっきまでは楽しく、一緒にお団子を楽しんでいたのに。
 
「ひさしさん?」
「…すまん。急用思い出した。残った団子はお前が食ってええから」
「へ? あ、ひさしさんっ!?」
 
自分が座っていた場所に、代金を置いたと思えば由樹は姿を消していた。
その間、清顕とは一切目も合わせず。
 
「ど、どうしちゃったんでしょうか…?」
 
由樹が座っていた場所と清顕の顔を見ながら拾はぽかんとした顔で呟いた。
さあ、どうしたんだろうね。といつもの口調で相槌を打つ清顕。
片手で隠された口元は実は少し、弧を描いていて。

 
 
++++
 
 
 

どうかしてる。
いくらなんでも、逃げるだなんて。
 
都市の中心部から少し離れた長屋通りの裏路地で、塀に体を預けて由樹は息を吐き出した。
 
(……あとで、謝らんとな)
 
置いてきてしまった拾の驚いた顔を思い出して、さらに溜息。
折角誘ってくれたのに、悪いことをした。怒っているだろうか…いや、むしろ心配しているだろう。
彼女は誰に対しても優しい。悪を知らないみたいに。
 
「はあ…アホか俺…」
 
考えてみれば、さっきはあの男に何をされた訳でもなく
ただ名前を呼ばれただけで。
…それだけで、あの場にいられなかった。
 
己のこういう反応がいけないのは分かってる。
こういう反応を示すほど、あいつを楽しませるだけで、
軽く流してしまえば何も問題がないのに。
そうだ、適当に言葉を交わして、何てことない顔をしておけば何も…
 
……ダメだ。
(…今、あいつの顔が見られへんのやった…)
手で覆った顔が熱い。また、耳朶まで赤くなっているのか。
…「あの程度」の事で、どうしてここまで動揺しているのか。
由樹自身にも説明がつかなかった。
いくら耐性がないからとは言え、時間が経てば落ち着くはずなのに
何日経っても頭から離れない、あの一瞬の光景。
…あの男からすれば冗談で、その場の勢いでやったに違いない。
だから一日も早く忘れたかった。…あいつに振り回されるのはいい加減悔しいのだ。
 
頭の中で現れる清顕の顔を隅に追いやってから、由樹は顔をあげる。
 
「……帰ろ…」
 
そうぼやいて、路地裏の出口を見やって
 
「いきなり逃げるなんて酷いね」
 
にこりと笑みを浮かべて立つ清顕の顔を、由樹は視界に入れてしまった。
 
「―――っ!!」
 
反射的に反対側へ駆け出す。
そんな由樹の頭上を、清顕は壁を軽く蹴って飛び越える。
由樹の目の前へと着地して、逃げる隙を与えずその腕を掴む。
同じシノビと言っても能力差は明らかだった。
抵抗も虚しく由樹の体は壁へと縫い付けられる
 
それでも顔を見ないように、必死に目を閉じた。
 
「離せっ…」
「由樹さんがこっち向いてくれたら、離すよ」
「……」
 
顔を近づける清顕がそう言っても、由樹は一向に顔を向ける気配はない。
清顕は大げさに溜息をついた。
 
「…まだ怒ってるの?あの時の事」
 
少し呆れたような、そんな口調で清顕は問うが
ダンマリを決め込んだ由樹は何も言わない。
ただでさえ「あの時の事」を思い出したくないのに、どうして言葉にしなくてはいけないのだ
 
「ああでもしないと、由樹さん演技できないだろ?
…少し唇が触れた程度だし、そんなに怒らなくてもいいのに」
「っっ!!」
 
具体的な言い方をされて、今度こそ由樹の顔が耳朶まで真っ赤になった。
必死に奥へ奥へと仕舞い込んでいた光景がフラッシュバックする。
 
丁度五日前のことだ
女性への苦手意識を無くすために入った「浪漫茶房」と名のついた依頼が
思ったよりも世間の女性の好評を得て、固定ファンまでついてしまった。
その固定ファンである…男性同士の恋愛が大好物だという変わった少女のダイエットを成功させるために
由樹は毎度何故かペアを組まされる清顕と、ダイエットを飽きさせないよう小芝居を打つことになった。
小芝居と言っても、由樹は話の筋書きを知らなかった。
何も知らずに清顕に人気の少ない場所に呼び出されて、いつもの通りにからかわれただけ。
追いかけられた末に押し倒されて、一言二言言われて終わりだと、思っていた。
清顕の顔が自分に近づいて、唇が触れ合うまでは。
 
「あ、あそこまでする必要なんかないやろ!」
 
自分は仕方なくやった、そんな言い方が気に食わなくて
清顕に真っ赤な顔で睨んで言い返す由樹。
むしろ可愛いという形容詞が似合いそうなその顔に清顕はくす、と笑う
 
「由樹さんこそ、過剰反応しすぎなんじゃない? …勘違いしていいのかな」
「な、何が…」
「俺に気があるんじゃないの?」
「な…!?」
 
お前、頭おかしいやろ!!
喉元まで競り上がった言葉も、色々な感情が綯い交ぜになって声として出てこない。
やっと絞り出した言葉も、上手く声に出せなくて。
 
「あ…アホか!!ふざけんなっ!」
「酷いな。本気なのに」
 
ぎり、と怒りで歯が軋む。
その軽薄な笑み、甘ったるい言葉。全てが忌々しい。
どうして俺がこんな男の、遊びに付き合わされなきゃいけない。
遊びたいのなら遊郭にでも行けばいい。どうして俺なんだ
 
「っ…!ええ加減にせえよ、千代田!
 お前の遊びに付き合っとる暇はないんや、離せ!」
 
自分でも驚くぐらいの大きな声で、由樹は叫んでいた。
そのままの勢いで清顕の手を力任せに振り払う。
清顕はきょとんとした顔をして、
 
「…由樹さんこそ、いい加減にしたら?」
 
唐突に、清顕から笑みが消えた。纏う空気が変わる。
さっきまでへらへらと笑っていた清顕はいなくなっていて、
代わりに現れたのは、今までに見たこともない顔。
…直感で由樹は思った。
こいつの「本当の顔」は、あの軽薄な笑みじゃなくて
こっちなんじゃないか、と。
 
「本当に鈍感…いや、それでもさすがにここまでされて気付かないのって、どうかと思うよ」
「な、何やとっ…、…!?」
 
どういう意味だ、と反論しかけて、由樹の言葉は遮られた。
清顕の唇によって。
あの時とは違い、とんでもない速さで、半ば無理矢理に。
 
「んっ…ぐっ…!」
 
状況に頭がパニックになりつつも、すぐに由樹は清顕から逃れようとする
しかし顎を抑えつけられ顔は動かせず、胸を押してもビクとも動かない。
襲ってくる息苦しさと異物感。その異物が清顕の舌だと分かって、涙目になって清顕から逃げようとするが敵わず
されるがままに舌を絡め取られ、咥内を蹂躙される。
気付けば清顕を拒絶した腕は縋るように服の袖を掴んでいて、…その手を離す力も沸いてこなかった。
 
「…これで、分かってくれた?」
 
酸素の足りない頭に、清顕の言葉が響く。
 
「…俺は、由樹さんが好きだ」
 
耳を、塞いでおけばよかった。
由樹は本心からそう思った。そんな言葉なんて聞きたいわけがない。
(お前に、そんな目で、見て欲しくなんかなかった)
 
気付けば、由樹はその場から逃げるように走り出していた。
頭が痛い。風邪を引いたみたいに体が熱くて、思うように動かない。それでも走った。
体が覚えている、祖母の家への道を無我夢中で。
清顕は追ってこなかった。追ってこられても、どうすればいいのか分からなかったから、それが救いだった。
 
『俺は、由樹さんが好きだ』
 
清顕の言葉が何度も何度も、由樹の頭の中で反響した。
未だ残る、唇の感触。どんなに拭っても消えることはなくて。
己の心でくすぶるこの熱と違和感が、いったい何が原因なのか全く分からなかった。
 
…否
一つだけ、分かっていた。
 
俺は、この感情を「知ってはいけない」
だから、あの男の言葉を受け容れてはいけないのだ。
 
…絶対に 
 
 
気付けば太陽は遠く、橙色の空には星が見え始めていた。
 

next…

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